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「できない」を「できる」に。ALS患者、町田玲子さんの挑戦。

常識にとらわれない!?   気管切開を経て話すことに挑戦する町田玲子さん

多くのALS患者が、気管切開の手術後に声を失います。ALS患者であり「日本ALS協会群馬県支部」支部長の町田玲子さんは、気管切開後に、主に喉頭がんの人が行う食道発声という方法で、「話す」ことに挑戦しています。

「もう一度、話をしたい」。

声を失った人なら、誰もが望むであろうことを実現させた町田さんの心の強さと柔軟さを見習いたい!

そんな思いでお話を伺いました。

孤独と我慢の日々、話がしたい!

佐藤:町田さんは、看護師さんなんですね。

 

町田さん:そうなんです。でも3人の子育てをしていた11年間は子供服のお店を経営しました。その後、看護師の仕事に戻り、訪問看護の管理職に就いていました。

 

佐藤:職業柄、医学知識もあるし、町田さんはALSがどんな病かを知っていたのだと思いますが、診断された時はALSを分かっているだけにショックも大きかったのではないでしょうか?

 

町田さん:私の場合、倦怠感や体重減少、呼吸苦が最初の症状だったので、自律神経の病気や更年期、がんなどを疑われ、自分でもがんだと思っていました。
いろんな科を回った後、1年経って神経内科でALSと言われたんです。そう言われても信じられず、「違うんじゃないか」とずっと受け入れられずにいました。
医療知識はあっても、ALSというのはまさかの診断だったんですよね。

ALS罹患前、看護師として働いていた頃の町田さん

佐藤:ALSの典型的と言われている症状がないと、診断も時間がかかると聞いたことがあります。始めから呼吸の症状があったんですね。

 

町田さん:バイパップの開始も早く、夜間だけでなく、すぐに24時間必要になりました。

私は、気管切開はせずに緩和ケアをしたいと思っていたんです。家族もそれで納得してくれているんだな、と思っていました。でも、だんだん呼吸苦がひどくなり、それでも気管切開を迷っていたときに看護師の次男が背中を押してくれました。

 

「気管切開しても生活は何も変わらないよ。呼吸器を付けることはメガネをかけることと同じように、生活がラクになるんだよ」と言われたんです。
長男や長女、夫からも気管切開してがんばろう…と。
当事者の私の気持ちに遠慮して、家族は思っていることを言えなくなっていたんでしょうね。みんなの気持ちがうれしくて、このまま終わりたくない!という思いがどんどん込み上げてきて、気管切開することを決めました。

 

佐藤:ご家族みんなが後押しした決断だったのですね。病気をきっかけに、ご家族みんな本音で話し合えたんでしょうね。

 

町田さん:うちの夫や家族は、「ALSが進行したらどうしよう」とは考えないんだそうです。病気が分かった時も、みんな「そうなんだー」って感じで深刻にならないんです。

看護師の息子さんとの2ショット!

 

佐藤:進行したときのことばかり考えるのではなく、町田さんのご家族のようなALSとの向き合い方は大事だと感じます。

気管切開をした後は、どのような状況だったんですか?

 

町田さん:気管切開は、喉頭分離術で口から肺への気道を閉じたため、声が出せなくなりました。言いたいことが家族に通じずに、イライラして八つ当たりしてしまったり。
言葉が話せないというのはこんなにも孤独なのかと…。
気管切開をする前は、これ程辛いと思っていなかったので、不自由さが術後に初めて分かりました。

 

レスパイト入院した時も、言っていることを看護師さんに分かってもらえなかったことがありました。
忙しいのはよく分かっているので、気を遣って我慢を重ねてどうしようもなくてナースコールを押したのに、痰の吸引だけササッとして終わり。私にはなんの声掛けもせずに行ってしまわれて。
話せないってこういうことか…ととても悲しくなりました。

疾患にこだわらないことで、可能性は広げられる!

佐藤:私は手が動けばiPadなどで筆談できるのでコミュニケーションはとれるから、そんなにも孤独を感じることはないのかなと思っていたんです。
思い込みでした。声を出せなくなった人でしか分からない辛さがあることを忘れてはダメですね。

 

そして、食道発声に出会ったのですね。

 

町田さん:食道発声は、YouTubeで見つけました。喉頭を摘出した喉頭がんの人の発声法を、自分でもできるのではないかと思ったんです。

 

佐藤:看護師の経験があったからこその発想ですね。
どんな練習をしたんですか?

 

町田さん:喉頭がんの人たちが集まる会に参加し、食道発声のDVDを観たり、「あいうえお」から練習したり。
ST(言語聴覚士)さんとも、舌を動かすなどの構音練習をしました。
調子が悪いと声が出ない時もありますが、普段はベッドに寝ていても話せます。できるようになるまで、1年くらいかかりました。

 

食道発声は腹筋を使うんです。私の場合は、腹筋ではなく喉の筋肉を使っているのだと思います。喉頭がんの方たちが行っている食道発声とはやりかたが少し違いますね。
そのせいか、皆さんはっきり話せて電話もできますが、私の声は電話では聞き取りができません。
でも日常でのコミュニケーションは以前よりも全然よくなって、多少の不便で過ごせています。

 

手術前に声を出せた人、術後に口パクできる人は、この発声ができるのではと、先生が言っていました。

旦那さんとの会話が一番のリハビリ。「夫と一緒によく外出しています!」

明日の心配をしないで、今日を楽しむ!

佐藤:できないことが多くなっていくだけでも、毎日とても大変だと思います。そんな中、新しいことを、しかも疾患の垣根を超えてやってみようとされた町田さんに、すごいパワーを感じます。その原動力を教えていただきたいです!

 

町田さん:気管切開の手術をした後は、STさんも周りの人も私が話せるようになるとは思っていなかったので、iPadやフィンガーボードを使ってコミュニケーションをとっていました。

 

でも、進行したらこうなる、気管切開したら話せない、といった固まった考えは持たないようにしています。ALSだけにとらわれず別の病気だったらなどと考えて、やろうと思ったことをやっています。
食道発声も毎日ちょっとずつ練習して、だんだんと声が出るようになりました。できない、と最初からあきらめてしまうのは嫌なんです。

家族とともに、「明日の心配をしない。今日を楽しく生きる」そう決めて、くよくよしないで過ごしています。

気管切開をする、しないというのは難しい問題です。でも、私は今、手術をしてよかったと思っています。

「夫はいつも寄り添ってくれていて、うれしいです」

 

佐藤:STさんたちの提案と違っても、疾患にとらわれず新しいことに挑戦して、努力している町田さんの行動力はすごいなと感じます。お話を聞いているだけで元気が沸いてきます。

 

町田さん:食道発声を練習する会で、が出なくなってもそれを克服して明るく暮らしている方と会い、とても元気づけられました。疾患がまったく異なる私のことを、皆さん「おいで、おいで」と快く受け入れてくれました。

私もそういう人になりたいな、と心から思ったんですよね。

 

佐藤:これからやっていきたいことや、さらにチャレンジしたいことは何かありますか?

 

町田さん:今、がんばろうと思っていることは、日本ALS協会群馬県支部長としての務めですね。ALS協会の活動をもっと知ってもらいたい!

 

もう一つは、ロボットスーツHAL@に挑戦することです。先月、かかりつけの病院で装着してみたんですが、私が小柄なのでサイズが合いませんでした。それでもHAL@に挑戦してみて、すごく楽しかったです。
あきらめずに、いろんな方法を使って、HAL@のリハビリを続けて行きたいと思っています。

 

それと、今年は大好きなクロマニヨンズのライブに郡山まで行ってきました。絶対また行こう!と思うと頑張れます!

2024年の10月に行われた「自分をプレゼン」にプレゼンターとして参加

今回のオンラインインタビューでは、始めから終わりまで町田さんがご自身でお話くださいました。
聞き取りづらい言葉はくり返して「聞こえますか?」と途中で確認する、数字は手で示して画面に映すなど、聞き手が理解できるように配慮してくださり、一生懸命、気持ちを伝えてくれました。そんな気遣いのあるやさしいお人柄も印象的でした。

 

気管切開をしたら話せなくなるという常識にとらわれず、柔軟な発想と行動力で、喉頭がんの方々の工夫を取り入れていった町田さんから、この記事を読んでいただいた皆さんへのメッセージをいただきました。

 

「最初からできない、仕方ない、とあきらめないで。ダメでもともと。もしかしたら…そう思う気持ちを大切にして、行動に移してみてください」

 

町田さん、ありがとうございました

 

【町田玲子さんProfile 】

  • 群馬県在住
  • 日本ALS協会群馬県支部長
  • 看護師として病院や訪問看護のキャリアを積み重ねながら、子供服店の経営なども行う。
  • 2019年ALSの診断。2022年6月気管切開後、喉頭がんで発話が困難になった人が行う食道発声というコミュニケーション方法と出会う。食道発声を訓練し、習得。

 

★食道発声に関する情報

食道発声とは – 公益社団法人 銀鈴会

食道発声 – Wikipedia

 

 

Writer:佐藤麻子 Satou Asako

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暮らしの中に必要な支援を考える。秋山正子さんInterview!

「暮らしの保健室」、「マギーズ東京」の開設という偉業を成し、ケアーズ白十字訪問看護ステーション統括所長も勤められる秋山正子さん。

コロナ感染の不安が広がり、医療、看護、介護へも影響が及ぶ中、制限しながらも、相談者への対応を続けられています。
心の不安を受け止めてくれる存在が、どれほど人の支えになるか。
身に染みて感じる今日この頃。
“暮らしの中に必要な支援”について、秋山さんの思いをお伝えします。

 

扉の中は暖かいもう一つの我が家。
「暮らしの保健室」のこと

大都会新宿にある戸山ハイツ。ホッと安らぐ懐かしさが漂うエリア。

 

秋山正子さんが開設した「暮らしの保健室」は、東京新宿区、築50年を超える「戸山ハイツ」33号棟の1階にあります。

木香を感じるウッドな造りの外観は、昔ながらの商店街の中では目を惹く存在。夕暮れ時、窓から漏れる優しい灯りからは、ふと覗いてみたくなるような人肌の温もりが感じられます。
ここは、誰でも自由に訪れて、体のこと、病気のこと、介護や看護のことを相談することができる、まさに“保健室”。
そして、この地に住む人々の孤独を癒し、不安や悩みを話せる心の拠り所でもあります。

秋山さんに、この「暮らしの保健室」でお話を伺えることになりました。

 


-とても落ち着く室内ですね。大都会の中にいるせわしさをまったく感じません。


秋山正子さん(以下:秋山さん)「ここは2011年にオープンしました。予約がいらないこと、いつ来てもいいこと、相談料がかからないこと、そして木を使った安らげる空間という、マギーズの考え方を取り入れて造ったんです」

楽し気なおしゃべりと、笑い声が溢れてる「暮らしの保険室」。地域の人の憩いの場。

-「マギーズキャンサーケアリングセンター」の創設者、マギー・K・ジェンクスさんの考えですね。優しい照明と自然を取り入れた温かい雰囲気、リラックスできる空間。
これは「マギーズ東京」と同じコンセプトなんですね。


秋山さん「そうですね。病院でも自宅でもない、第二の我が家のような居場所。それがイメージです。
ここは、2017年にグッドデザイン賞を受賞しています。「暮らしの保健室」の考え方を含めて評価していただようです」

「暮らしの保健室」は、マギーズをお手本にしたけれど、違うところは病気に限らずに、地域の方からの相談やご質問に対応しているところです。
例えば、「家族が認知症になった」「旦那が病院に入院してしまった!」と不安な気持ちをお話に来る人がいたり、「何の薬か分からなくなってしまった」といった困り事を相談に来たり。
ほんのちょっとしたことだけれど、わからなくなったり、不安になると、先に進めないんですよね。
「暮らしの保健室」は、そういうちょっとした分からない事を気軽に話せる場所なんです」

2017年度グッドデザイン特別賞を受賞。「地域経済の活性化により経済発展に寄与するデザインとして特に優れたもの」として選出。

 


迷ったり、不安になったり、
困った人への道先案内。

 

-いろんな相談がくると、対応しきれないこともたくさんあるのではないでしょうか?
相談を受けるのはとても難しいように思います。上手な対応のコツというのはありますか?


秋山さん「私たちの相談支援は、セカンドオピニオンではないので、治療や医療に関して答えを出していくことはしていないし、できないんです。相談を受ける時は、相手の話をよく聴いて、一番大事にしていることは何か、何を解決したいと思っているのかを知ることから始めます。
それが分かってきたら、悩んでいる中身を少し整理して、次に何を選択していくかを考え、その人が次に進んでいくための道先案内をしていくような感じです」


-「道先案内」とは、とてもわかりやすい表現ですね。
秋山さんのそうした考えは広がっていて、「暮らしの保健室」は全国に50ヵ所以上開かれているそうですが、どの地域でも同じように運営されているのでしょうか?

 


秋山さん「「暮らしの保健室」は、立ちあげた方や地域の特性など、各施設がそれぞれの状況に応じたスタイルで運営を行っているんです。
ただ、考え方や基本方針は皆同じです。
患者さんや相談に来た方とは常に横並びの関係で、専門職が知識を伝授するとか、教え諭すようなことはありません。悩みをきいた上でどうしたらいいのかを一緒に考えて、病気や障がいをもった人が自分の足で歩いていけるようにする。
この、自立支援の考えはとても大切で、「暮らしの保健室」の柱になる考えです。状況が変わっても、これだけは、譲れないところですね」

 

何があっても訪問看護が維持できる。
その体制づくりが課題。

 

-ここ1、2年はコロナ対策で、入院すると家族や近しい人とまったく会えなくなってしまう状況が続いているので、自宅での療養を望む人が増えているようです。

訪問看護は、今、なくてはならない重要な存在ですが、利用者が増えていることもあり、人材不足の問題が益々深刻にならないかと心配です。


秋山さん「事業所の数は増えていますよね。ただ、ぎりぎりの人数で運営している事業所も少なくありません。そのため、災害やコロナなどの影響を受けると、人手に余裕がないために訪問ができなくなってしまわないかという心配があります。
誰かが休んでもカバーできるくらいの余裕ある人材確保ができればいいのですが…


看護師、ヘルパー不足は患者さんにとっては深刻な問題です。
解決への糸口があるとしたらどんなことでしょう?

 


秋山さん「人の問題は難しいですよね。白十字訪問看護ステーションのことを例に挙げると、訪問看護事業所の他に、看護小規模多機能型の施設「坂町ミモザの家」、そして「暮らしの保健室」といった事業内容の違う事業所を運営し、大変な時はみんなが連携して訪問看護を支えていくような仕組みを作っています。

話をしたり、相談できる場は、地域に住む人の支えになります。各家庭に訪問することだけでなく、目線を広げた地域のための活動が増えれば連携もとりやすく、人材確保にも繋がるのではないかと思っています」

「マギーズ東京」「暮らしの保健室」
大切なことは話を聴く。対話をすること。

 

東京の豊洲に開設された「マギーズ東京」。緑に囲まれ、ここだけ別世界のような雰囲気。

-「マギーズ東京」に行ってきました。都会の埋め立て地にこんなに自然を感じる場が存在することに、まず驚きでした。
室内の居心地もよく、訪れた人は緊張がほぐれて気分がよくなりますね。
環境って大事だなとつくづく思いました。


秋山さん「マギーズ東京の開設は、イギリスでセンター長を勤める方と、がん看護に関する学会で登壇者としてご一緒したことがきっかけになりました。
いつでも、誰でも相談に来れるように窓口を開き、がんを経験している人やご家族、友人など、がんに影響を受けるすべての人を受け入れて対応していることを知り、そういう場が日本でも必要だと強く感じたんです。
病院以外で、病気のことから暮らしのことなど、気軽に相談できる環境の整った場、というものがなかったんですよね。それで、マギーズをつくる運動を始めました。

 


-日本では前例もないし、発想や考えを理解されにくかったのではないですか?


秋山さん「そうなんです。整った環境の中、がんに影響を受ける人がいつでも自由に来て相談することができる。そんな場をつくると言っても、理解してもらうのは大変でした。
医療保険、介護保険も関係なく、収入源がない状態でどうやって運営するのかイメージできない…。ということをよく言われましたね。
でも、すでにオープンしていた「暮らしの保健室」がいい見本となって、支援へと繋げていくことができました」


-「マギーズ東京」、「暮らしの保健室」の両方で大切にしているのは、どんなことでしょうか?

 


秋山さん「相談者さんが、診断を受けて気持ちが下がっていたとしても、自分で決めて進んでいけるようにサポートすることが私たちの役目です。
相談に来られた方のことは、心理士、看護師などのスタッフが、毎日リフレクションという振り返りをして情報を共有しています。
誰が対応しても導く方向が同じになるようにするためです。

「マギーズ東京」を利用される方への関わり方で、一番大切にしていることは話を聴くこと。対話することです。
単なる傾聴ではなく、一緒に考え整理し、方向を共に探りながら話を聴く。それは、マギーズも保健室も同じです」

マギーズ東京の室内は木の香りでいっぱい。癒しとくつろぎの空間。

 

-気軽に相談できる場がある。
それは医療や看護に留まらずに、人の暮らしの大きな支えになっていると思います。
問題や不安が大きくなる前に、サポートできることもありますよね。


秋山さん「そうですね。今、生きづらさを抱えている人はたくさんいると思います。そういう方たちが気軽に相談できる場があると、問題に対して早めに対処ができるようになります。

例えば、体調が優れないとすぐに救急車を呼んで大きな病院に行こうとする人がいます。でも、それが一番いい方法かというと、そうではない場合もあります。
かかりつけ医がいれば、話をきいてもらって解決できるかもしれません。訪問看護が通っていれば、体調の変化に早めに気付くことができるかもしれません。そんなふうに、救急車を呼ぶことになる手前でサポートできることがたくさんあるはず。
ただ医療を使うのではなく、上手に医療にかかる。それは、必要以上に医療を使わないということも含めて、大事なことだと思います」


-難病でも、疾病の種類に関係なく、そうした垣根を越えて進む道を見つける場が必要です。
難病患者が気軽に相談できる場をつくりたいと、お話しを聴いてつくづく思いました。
少々、大きすぎる目標ですけれど…(笑)

 

幅広い世代の人が悩みや不安を
相談できる場を各地域に。


-自分の家で最後まで過ごしたいと望む人がいたら、その思いに応えていきたい。秋山さんは、そのために必要な道を一つひとつ切り開きながら歩んでこられていますが、これからさらに、どのような道をつくっていこうと考えていますか?

秋山さん「地域の中でいろんな人と手を組んで、そこに住む人が最後までこの街で、自分の家で過ごすにはどうしたらいいのか。そんなことを相談できる場が、もっともっと増えて、こうした考えが広がってほしいと思っています。

今、若い患者さんは、自分の意思で医療者と相談しながら治療を行っている人が増えていますね。患者さんが自分の意思で選択できる、そんな時代になってきているのだと思いますが、やはり迷いや不安はつきないのかと。
医療体制や考え方が変化しても、相談できる場、相談できる人がいることで安心を得られる人がいます。
そんなふうに考えると、「暮らしの保健室」は、これからもっといろんな世代の人に利用してもらいたい。そういう働きかけも大切だと思っています」


-最後に、今後の活動について、教えてください。


秋山さん「全国各地に広まった「暮らしの保健室」が、それぞれの地で次の世代が育ち、受け継がれていくのを見守っていこうと思っています」


とあるメディアに掲載されていた秋山さんの言葉で、印象深く心に残っている一文があります。

「お一人お一人の人生の最後の場面に出会うことは、その方の“いのち“を物語として受け継ぎ、次の世代へ語り継ぐ役目を負ったということだと思わされることも多々ある」

次世代へと繋げていく。
Uniqueも、こうした情報発信を行う上で、役目を負うのであれば、どんな役目なのだろう…と考えます。
もっと多くを経験し、もっと深く思考し、続けていかなければ見えないものなのかもしれません。
次世代へと繋げていく。
その役目を実感できた時、はたしてやり遂げたと思えるのか。
やり残したと思い、自分に落胆するのか。
先のことは見えないけれど、
一日、一日がその答えをつくる貴重な時間だということは、どんな時でも忘れずにいられそうです。

小さな町の保健室。秋山さんの考えが多くの地に広がり、人を支えているのだと思うと,温かい気持ちになれます。
年齢、性別、疾患、生涯、すべての垣根を取り除く集いの場が、これからも各地に、各町に、増えていくことを願います。

 



秋山あきやま 正子まさこさん
秋田市生まれ。
1973年聖路加看護大学(現聖路加国際大学)を卒業。看護師・助産師を経て、1992年東京の医療法人春峰会の白十字訪問看護ステーションで訪問看護を開始。
2001年ケアーズ白十字訪問看護ステーションを起業、代表取締役に。
2011年「暮らしの保健室」を東京・新宿に開設、2016年NPO法人マギーズ東京を設立。
2019年 第47回フローレンス・ナイチンゲール記章受賞

 

 

◆マギーズ東京
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※暮らしの保健室開設にご興味のある方へ・基本ガイド

https://kuraho.jp/steps.html

 

 Unique/Writing:Maeda Rie